あなたの中でふと感じたことや、ふと降りてきた「妄想」は、
あなたにとっての「真実」です。
他人にとっては「間違い」だったとしても、あなたの宇宙では真実です。
内側が先なので、最初は証拠が見えないのです。
正しい、間違いを外側に探すのをやめて、
自分の中を見ることで、分かってくるものがあるのです。
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例えば、その感じたことが「妄想」だったとして、何が問題でしょうか。
そのメッセージや、「感じたこと」「降りてきた言葉」が妄想だったとして、
あなたにとって何が問題でしょうか?
あなたは何を恐れているのでしょうか?
妄想だと分かって落胆するのを恐れているのか。
今まで信じてきたものが間違っていたと絶望するのを恐れているのか。
笑われるのを恐れているのか。
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自分の感じたことを「妄想だ」と決めるのは、恐れを回避するための予防線に過ぎない。
もし本当に妄想だった時に、感じるであろうその落胆や絶望への恐れを感じないようにするための予防線である。
その予防線が、自分の感覚を鈍らせ、本来持っている能力を摘む。
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もし本当に妄想で、自分には何も才能がないとしたら?
神社で感じたことや、神様に守られているという感覚が妄想で、本当はそんなもの最初から無かったんだとしたら…
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そこに、何の問題がある?
あなたは確かに、「自分の意志」でそこに行ったはずだ。
自分で決断して、自らの足でそこへ行き、己の体で感じたはずだ。
体が熱くなる感覚
胸の辺りが「キュン」となって、温かいものが血液に乗って移動するような感覚
頭がスッキリして目がぱっと開く感覚
そういう体感を感じているのは、紛れもない自分自身の体。
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頭は、本当にうるさいのだ。
恐れを感じるのを怖がり、消えたくないから、とにかく自分の感じたことやハートの声を否定する。現実を材料にして批判もしてくる。
そこに同意していては、一生、自分を生きるのは無理だ。
自分を信頼するなんて夢のまた夢だ。
他人が何と言おうが、自分の宇宙で起こっている感覚、降りてきたものを否定しないこと。
「気のせい」「妄想だ」をやめることだ。
それが、自分の感覚を鋭くして、能力を開くために必要なことだ。
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「もし、今まで信じてきたことが全て妄想で、無駄なことだったら?」
自分が信じて一喜一憂してきたことが、実は存在すらしていないことだったら?
その疑いが出た時、ひどく落胆し、気力が削がれた。
絶望に近い。
今まで自分は何をやっていたんだろう。
やっぱり私はバカだったんだ。
結局、私は勝手に勘違いをして勝手に突っ走って、挙句妄想だったと。
先のことに希望も持てない、バカだったなと自分を責める。
変わってしまった目の前の光景に涙が出た。
そして、そんな気持ちになってしまったのは、
「見捨てられている」「呼ばれていない」からだと、酷く落ち込んだ。
胸の中がスースーと、隙間風が吹くように寒い。
手が冷え、空洞が開いてしまったような虚無感。
そして、勘違いをしていた自分に呆れる。
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馬鹿みたい
何やってるんだ
無駄だった
これだから私は馬鹿にされるんだ
笑われる
恥ずかしい奴
存在しているだけで恥
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そこまで来て、ふと思う。
「妄想だったとして、何が問題?」
恥ずかしい?何で?
確かに、私は自分の意志でここにいる。
その結果を引き受ける覚悟も、持っている。
誰にも決定権を渡さず、自分で決断した。
迷って葛藤し、決めたことだ。
そこに、何を恥じる必要がある?
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妄想だったとして、何が問題?
例えばそれについて…笑われて見捨てられたとして、何が問題?
だって、自分の意志で決めてやったことじゃないか。
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言葉にするなら、「それがどうした」だ。
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迷い、葛藤し、自分で決断することは、強さを生み出す。
どんな結果であろうとそれを受け入れる覚悟だ。
妄想だと笑われても、「体感」と「体験」、「経験」が軸になるので揺るがないのだ。
それは自分で決めるからこそ得られるもの。
自分以外に決めてもらうから、弱くなる。ブレる。
ブレるから、恐れや落胆を感じるのを恐れる。
そうやって、恐れを感じないような出来事を望んで本来の望みを忘れていく。
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自分の感じたことが「妄想」でも、自分を信じると決めたのなら、
それをそのまま信じて、その恐れすらも引き受けてしまえばいい。
そうすれば、無敵だ。