神様と共に生きる◇目醒めて自分に力を取り戻す

わたしにとっての真実を表現しています。

真の浄化と気分の良さ

 

正直言うと、自分や他人を責めたり、僻んだり攻撃する方がラクだ。

 

一時的に、気分も良くなる。が、本当に一時的だ。

だから、責めるのを辞められなくなる。

 

そうしている間は、出来なかったと言う喪失感、無価値観、無能感、罪悪感、深い悲しみを感じなくて済むけど、責めるのを辞めたら、本当の恐れが自分を追いかけてくるからだ。

 

 

出来なかった自分を責めた方が、

 

強烈な胸の痛み

ギューっと苦しく痛いその感覚

何も出来なかったという無力さ

その無力さと向き合う強烈な恐れ

 

を感じるよりもラクだったからだ。

 

 

自分が責められる前に人を責めれば、自分の立場が安全になったと錯覚できる。

 

正当化も出来るし、それで同意してくれる人がいれば、

「自分が人を責めたこと」が正当化されてラクになる。

強いことをアピールもできる。

 

そうすることで、

 

何も出来なかった弱い自分や、失ったと言う悲しみ、失う恐れ、心臓を鷲掴みにされる苦しさ、大切な人や動物がいなくなった時に何も出来なかった…という深い無能感、どうしたらいいのか分からない混乱、絶望、悲しみを感じずにすむ。

 

 

 

 

自分はなんて卑屈な人間で身勝手な人間なんだろう。

誰かや何かの助けよりも、自分の保身を優先している。

 

悲しみを感じたくない。

恐れを感じたくない。

恐れから逃げたい。

人から責められたくない。

 

 

人から責められて、無価値観や無能感、悲しみを感じたくない。

 

感じるのが怖い。

 

その悲しみや恐れを真正面から味わってしまったなら、

自分が生きていられなくなりそうで。

 

立ち直れない、失った現実だけが残されたこの世界で、

失った悲しみと、どう生きていけば良いか分からないという混乱が怖い。

 

 

そうやって、人や、卑屈な自分だと責めるほうが実はラクだった。

出来なかった自分を責め、模範通り、「正解」の通りにしない他人を責め、何もせずに不満を言えるから。

 

後になってからならいくらでも言える。

 

 

なら、本当はどうしたかったの?

 

本当なら、自分はその時どうしたかった?どう存りたかったの?

 

 

 

 

自分の意見を臆せず言い、「こうしたい」ということを言いたかった。

 

 

怒られてでも、叱られてでも、自分の意見を伝えるべきだった。

逃げていたのは私だった。

 

 

言うことを素直に聞いて、押し黙るほうがラクだからだ。

その方が、波風が立たなくて良いし、安全だし、安心だったからだ。

 

 

立場の上の人間には屁辛笑い、言うことをなんでも聞く。

おかしいことにも黙っている。

 

自分より弱い立場の人間には自分勝手に言うことを聞かせ、

わがままが通らないと不機嫌になる。

当たり散らし、言うことを聞かせて満足している人間の集まりだった。

 

 

内側の感情で、最も怖いのは「悲しみ」と「恐れ」だと言うことがわかった。

 

悲しみを真正面から感じるのがすごく怖い。

「怖い」ということを真正面から感じるのも怖い。

 

 

本当はどうしたかった?

 

 

 

 

 

 

本当は、何が起こっても冷静な視点を持っていて、

自分が「こうしよう」という閃きと案に従い、

その時に自分が出来る最大限のことを行動に移し、やれるだけのことをやる。

自分の保身を考えることなく、そうしている。

 

そういうふうになりたかった。

 

 

正しい、模範通りの動きをするのが望みではなく、

その時に出来うる最大の案を実行している状態の自分になりたい。

 

これが望み。

 

 

 

 

ここまで来たら、強烈な深い悲しみや怖さが、勝手に無くなっていた。

 

次、同じような状況になったら、冷静に、自分が出来うる限りの最善策を取ろう。

それで救えなかったとしても、その悲しみも後悔も、全て真正面から受け止める。

 

 

その覚悟が決まったら、気持ちがスーッと軽くなった。

 

 

 

 

この一連の流れが、本当の感情の癒しだと体感しました。

 

恐れることを恐れて、悲しみを感じることを恐れて自己啓発を学んでも、

消したかった一番の悲しみは、ずっと心の奥底に残っていました。

 

 

真の気分の良さとは、自分の悲しみや恐れから逃げないことで得られるものだ。

 

 

本当の望みは、その悲しさと恐れの裏側にある。

 

 

 

内側にある強烈な恐れや悲しみから逃げずに、真正面から受け止める覚悟があって初めて、

瞑想や宇宙理論というメソッドが活かせるのです。